イタリアに出会うまで

 私はたぶん、いわゆる(海外)旅行好きというのではないと思う。趣味の欄に海外旅行と書くのはどうもしっく りこないので、ほとんど書かない。初めて海外旅行をしたのも、今の時代としては遅いほうだと思う。国内・国外を問わず旅行に精を出すという学生時代では、 まったくなかった。私が学生のころ、世の中はまさに泡沫景気まっさかりで、日本から海外への旅行者のすそ野もかつてなく広がりつつあり、まさに「ちょっと バイトすれば行ける」感覚があたりまえになってきていた。そのご時世に、私は一度も海外へ行かなかったのだ。興味がなかったのではない。小さいころから人 一倍「がいこく」への関心は強く、地球儀を見たり、図鑑をながめたりしては、「がいこく」への興味をふくらませ、いつかは「がいこく」で暮 らすんだ、と思っていたものだ。それなのに(学部学生のころは)一度も行かなかったのは、生来のスロースターターであるということのほかに、何というか、 強い内的必然性のようなものを確信できなかったからなのである。自分の深奥にある欲求に対して、自分なりのリクツづけができないために、結局カラダが動か なかったというべきか。私の周囲は、大学生になっても海外旅行していないほうが珍しいような状況で、ビシバシ海外旅行をするたくましき友人たちをしり目 に、どこへも行かない自分にみっともなさと焦りを感じながらも、「鎖国してんねん」などと冗談半分に言っていた。私には、行き先がどこであれ、わざわざお 金と時間をかけて外つ国に行くのだから、絶対にそれだけのものを吸収できなければ(自分を)認められない、という、ちょっと明治時代の人が考える洋行のような観念があり、なかなかフットワーク軽く、日本の領空、領土、領海を出ることができなかったのである。

 初めての海外旅行は、修学旅行のようなものだった。当時、イギリス絵画を研究していた私は、たまたま友人にロンドン・フリーツアーに誘われ、実物も見なければ、ということで、初めてパスポートを作り、機上の人となった(それまで飛行機にも乗ったことがなかった)。初めての飛行機搭乗は なかなかエキサイティングで(小学生並みにはしゃぐ姿に友人は苦笑)、以来、飛行機の旅はけっこう好きになったが、ロンドンの街自体には私はそれほど心ひ かれなかったため、またしばらく海外旅行とは疎遠になった。旅行は、行ってみて感動があると、それが呼び水になって、また行きたくなる。が、私の場合は ちょうどその反対だった。

 その後、香港へ行った。それほど強い動機はなかったが、いろいろ煮詰まっていて、近場で安く てパッと気分転換できそうな所へ行きたかったのと、返還の前に一度は見ておくべし、みたいな、返還前の1~2年、何となく世間に漂っていたムードに乗っ かった感じだ。そのときの体験は、しかし、それなりにその後の道程を示唆しているようでもある。それは、香港とマカオで感じた、自分と街との相性の違い だった。たしか香港で3泊、マカオで1泊だったと思うが、香港が合うでなく合わないでなく(ちょうどロンドンのように)という印象だったのに対して、マカ オは、香港に比べたしかに少々鄙びた感じがあったけれども、街並みに一種独特の情感があり、ひじょうに心に響いたのだった。一瞬、広東語をマスターして、 マカオに住もうかとマジで考えた。これはまったく意外なことだった。地理的にきわめて近く、歴史的、政治的状況においても共通するものの多い、この二つの 街を、これほど違わしめているものは何なのだろう、と考えた。そして、ふと私の脳裏をかすめたのは、香港イギリス領で、マカオポルトガル領、という、中学生でも知っている事実だった。これがそのまま、ヨーロッパにおけるラテンゲルマンの 相違にシフトした。つまり、香港とマカオの違いは、ヨーロッパに置き換えれば、いわばゲルマン系とラテン系の違いに相当するのではないか、ということであ る。私のアタマの中では、西欧を文化的に分かつ要素としてのラテンとゲルマンという対概念が、かなりしっかり根をおろしてしまっていたためか、まだ生身の ラテン系ヨーロッパを見たことがなかったにもかかわらず、そう直感したのである。この考え方、もちろん早計な部分もあると思うが、あながち的はずれでもな いだろう。ともかく、自分としては腑に落ちた。それからというもの、何となく自分にはラテン系の方が合っているのではないかという予感を薄々もつように なったのであった。

 小さいころから、二次情報によって育んできたヨーロッパ像の中では、私はむしろゲルマン系に軍配をあげてい た。総体にきちんとしていて、とくに近代社会成立への寄与という観点から、いかにも立派なイメージがあったからである。それに対して、お気楽でノーテンキ で、近代化に立ち遅れ、あまり豊かではないラテン系という、まさにステレオタイプ的なイメージを、(フランスをのぞく)ラテン系の諸国に対してはもってい た。とりわけ、イタリアについて言うと、日本で得られる一般的な情報から透けてみえるこの国の現状と、輝かしい文化的、芸術的精華の数々が、どうしても結 びつかなかったのである。現在のイタリアへの偏愛ぶりを考えると、自分でも信じられないのだが、でもこれは、日本で生まれ育ち、現地での滞在経験をもたな い人にはめずらしくない固定観念ともいえるのではないか。それぐらい、日本からながめたとき、ラテン・ヨーロッパの真価を伝える情報が少なかったというこ とだろう。今でこそずいぶん事情が変わったけれども、それでもやはり、伝統的ステレオタイプの焼き直しのような情報は多いように思われる。

 とにかく、マカオでのちょっとした経験が、ラテン・ヨーロッパへの目を開かせてくれたのは間違いない。そし てイタリアとの出会いという決定的瞬間が訪れる。3度目の正直(?)にしてイタリアと運命的出会いをして以来、私のココロとカラダは完全にイタリアの方角 へと条件付けされてしまった。かつての予想では、とうに行っているはずのオランダやドイツやスイスやオーストリアへは、いまだ一度も行っていない。いずれ 行くだろうし、行くべき理由も目的あるし、そろそろ行きたいとも思っているが、限られた時間と予算の中で選択を迫られると、どうしても足はイタリアへ向い てしまい・・・だから、あまりラテンだのゲルマンだのを云々する資格はないかもしれないが、それでも、私自身に関しては、実際にゲルマン系の国へ行ってみ たらば、イタリアよりも性に合った、ということはないと確信できる。そのぐらい、私とイタリアは、ただならぬ何かでつながれたということである。現実のイ タリアが、いろいろと難しい問題も抱え、決して素晴らしいだけのパラダイスでないことは、言うまでもない。けれど、もはや私の中にイタリアがある!私は、私のイタリアをつかみたい。
(2000/4/12)