"Giappone"を加えるにあたって―問題意識の所在

※このサイトを開設した当時(2000年)の文章です。現在のサイト構成に合わない記述もありますが、「書庫」なので、そのまま載せています。
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 気持ちも新たに上記のプロローグをアップしてから3週間、このたび、サイトの名称をStudio di ALBA(ALBAの書斎)とあらため、ArteViaggioItaliaという三つの基本コンセプトに、もう一つ、Giappone(日本)を加えることにしました。

 北イタリア&ベルギー3週間の旅から帰って約1ヶ月。内面的にかなりの疾風怒濤がありました。それを述べる ことがこの緒言の主旨ではないので、詳述は省きますが、端的に言うと、それは「自分はこれから、本当にどうやって生きていくのだ?」という根本的な問題に 直結した自問自答の数々でした。それを繰り返す中で浮かび上がってきた思いが一つ―自分は結局、日本のことが知りたいだけなのではないか?

 日本の大阪に生まれ育って幾星霜、この街自体は私にとって、決して住みにくいところではありませんでした。 友人にも恵まれ、気楽にノンキに暮らしてきました。その一方で、ほとんど物心ついたときから、「日本」というフレームワークにある種の違和感を感じ続けて きた私は、つねに「ここ以外に住めるどこか」を探し続ける、いわば精神的遊牧民のような気持ちで生きてきたことも事実です。まだ幼稚園に行く前、4~5歳 ぐらいのとき、なぜ自分は日本に生まれたのだろう?と漠然と感じていた記憶があります。
 10歳のとき、ルーマニア少年少女合唱団と共演したとき一それは私 が初めて接した「外国」でした一には、なぜ私はルーマニアではなく、日本に生まれたのだろう、と考えました。自分がルーマニアやイギリスや中国やインドや ケニアではなく、日本に生まれたのは、どういうめぐり合わせなのだろうか、と。特に答えを見つけようとするでもなく、そんなことをしばしば考えたものでした。しかし、自分の中にほとんど先験的にあった「違和感」も、世の中へ出て、「世間」というものを知るにつれ、次第に薄らぎ、あるいは馴致されていくもの なのだろう―思春期の頃は、漠然とそのように考えていました。しかし、それは長ずるに及んでもなくならず、むしろ先鋭化されていったように思います。その根雪のような「違和感」の胎動をつねに感じながら、心は「ここ以外に住めるどこか」を求める一方、現実においては、日本の学校を卒業し、日本の職場で働 き、日本の人間関係の中で生き、その「違和感」を解消しようとする苦闘の方をより多く経験してきました。
 おかげで、個人的には疑問を感じるさまざまのこと に対して、単に反感や苛立ちだけではなく、共感をもって臨むことができるようになったと思います。それでも「違和感」はなくならない。その「違和感」を、 「違和感」として明確に対象化してくれたのが、イタリアとの出会いでした。名実ともに「異」なるものに触れることで、私は気が楽になりました。「地球上に はこういうところもある。」イタリアとの出会いは、私に、「枠組みは一つではない」というメッセージをくれたのでした。それは、頭では当然のこととしてわ かっていても、現実にはある一つの枠組みの中で生きている者にとって、ついぞ実感しえたことのないことものなのでした。それを可能にしてくれたのが、なぜ 「イタリア」だったのかはわかりません。それこそ「縁」というものでしょう。

 初めてローマに行ったとき、心の底から感じた、えも言われぬ幸福感の正体は いったい何だったのか?ただ歩いているだけで「幸せだ」と実感できたあのとき、私の精神はいったい何を感受したのか?そんな思いに導かれて、私の心はいつ しかイタリアを目指すようになりました。ようやく目指すべき目標地点を見出した喜びと同時に、その道のりの困難さも予感しつつ。
 いささか抽象的で、雲をつかむようなことを書いている気もしますが、とにかく言えることは、こうした問題意識すべてが、根源的には「日本」という枠組みの中で生きる過程において形成され、醸成されてきた、ということです。先述のとおり、自分の中の「違和感」を 「違和感」として浮彫にしてくれたもの、それが「イタリア」という別の枠組みでした。ある意味で、自分の生まれ育った日本が、私にとっては最大の謎として 在り続けています。そして、その謎の正体を見極める(それが可能かどうかは別として)ために、自分はここを出る道を模索している―そのようなところに、 今、自分はいるのだろうと思います。
 それゆえ、ここで追求されるすべての事柄が、究極的にはかくのごとき問題意識に根差し、かつその追究を志向するものであるといえましょう。あえてGiapponeと いう項目を加えたのは、伝統的な美術や古典芸能などの「美しき日本」の側面を追求するためではありません。そうしたものに愛情を感じてはいるけれど、むし ろ私が追究したいのは、「これは、ちょっと違うのではないか?」という日本の部分です。ささやかながらも、そうした問題意識に根差して「日本」を探求する ことで、この国の姿が、より明確な輪郭をもって浮かび上がってくるのではないか。そのような期待を込めています。ですから、基本的には、特別に「日本~」 と銘打ったセクションを作るつもりはありません(将来的に作ることはあり得ますが)。英語版には、Anatomy of Japanと題して、主に外国の方に読まれることを前提にした、簡単な日本紹介のためのセクションを作る予定ですが、その部分だけがGiapponeなのではありません。イタリアの街のことを書いているとき、西洋の文化や社会について考えているとき、ここを離れて国外で生活する道を模索しているとき、その底流にはいつも「日本とは何か?」という問いがあるのです。
(2000/9/25)