伊太利亜三都物語

 三都すなわち京都、大阪、神戸・・・ではなくて、ローマ、フィレンツェ、ヴェネツィア、これが初回のイタリ ア旅行で訪れた街。ローマ・ショックがあまりにも強烈だったため、他の街は、インパクトという点では、どうしてもローマに一歩譲ってしまうが、それぞれの 街のカラーが、こんなにも違うということを肌で感じたのは大きな収穫だった。もう4年も前のことなので、記憶や印象も当時のままではないのだけれど、それ らを反芻しつつ、自分の中に沈潜したものを久しぶりに引き出してみようと思う。

ROMA
 

 ここで発見したのは「時間」。ショック状態に陥るほど、この街に感銘を受けたのは、ひとえにそこに蓄積された時間の豊かさであ る。いつぞや、「時は流れない、それは積み重なる」とかいう某洋酒メーカーのキャッチコピーがあったと思うが(記憶違いかもしれない)、ローマではまさに 時は流れ去らず、積み重なっていた。日本の、とくに大都市では、50年前のものでさえ見つけるのが難しい。日本の大都市の規模からすれば比較にならないほ ど小さな街なのに、あらゆる面でスケールの大きさを感じさせるのは、時間的なスケールの大きさを秘めているからではないかと思う。あらゆる時を積み重ね て、結果として今の形になった街や建物が、こぢんまりとはおさまらない、膨張の胎動を本質的に秘めているからではないだろうか。バロック都市と言われ、 ローマが今あるローマになったのは、バロック期の成果に負うところが大きいが、私は何よりも古代に強く惹かれた。
 市街地にどんと立つコロッセオや倒れた柱や崩れた石段の転がるフォロ・ロマーノの遺構に、おぼろげながらキリスト教以前の ヨーロッパの面影を見た。荒廃していた時期もあったこの都が、ともかく現在まで生命力を保ってきたことに、この地のもつ強力な地磁気を感じずにおれない。 そしてルネサンスの到来とともに、永遠の都にふさわしい相貌を与えられ始め、バロックの力強いヴィジョンの洗礼を受けて、人間の歴史のすべて、とまでは言 わずとも、大部分を包含する時を飲み込んで、一種モンスター的な表情を見せながら、地球上のあの場所に存在するローマの街を歩くと、私はいつも不思議な安 堵感を覚える。ここでは時間が目に見える。時計の文字盤でしか確かめられない、切り刻まれたスケジュールの指標としての時間ではなく、空間の中に満たされ た羊水のような時間の横溢を感じることができるのだ。
  現実のローマは、猛スピードの車やバイクが行き交い、空気も良いとは言えず、後ろに目をつけて歩かなければならない、うかうかできない街には違いないのだ が、ここを歩いていると、自分の意識が、必ずしもそうした現実的な注意に支配されていないことを感じる。かなりいろいろなことに気を配りながら歩いている はずなのだが、不思議にふわーっとした空気に包まれて、地から足が50センチほど浮いたような、そんな気分になるのだ。いわば、一種の軽い変性意識状態の ような。脳波の状態が違っているような。だから、ローマでは、ひたすら歩くことが快感。炎天下、乾燥した空気と照りつける日差しの中を、のどの渇きも忘れ て、ひたすら歩く。地下鉄に乗るのがもったいないとさえ思ってしまう。大阪をこの調子で歩けと言われたら、まず無理。大阪では地下鉄2駅分ぐらいが限度。 でも、ローマではなぜか苦にならない。坂道でもなんでも、どんどん歩いてしまう。慢性的交通渋滞と大気汚染に悩む現代の都会ローマを、他と違わしめている のは、内包する「時間」の幅にあるように思えてならない。この時間の中を歩くことこそ、ローマを歩く喜び。ローマは歩いてこそローマ。またこの次も、ひた すら歩き続けてしまうのだろう・・・



FIRENZE

巨大モンスターの胎内(!?)のようなローマから、フィレンツェへ移動すると、そこにはずいぶん違ったイデーに貫かれた街のあり方を見ることになる。ここはやはりルネサンスの都。ローマ起源の古い町だが、フィレンツェをフィレンツェたらしめているのは、やはり調和と均整というルネサンスの理想だろう。ここには「異形」というものを感じない。ちょうど遠近法の絵画のように、すべてが統御され、見通され、突拍子もないもの、気まぐれなものがない。ローマのような得体の知れないダイナミックさはないが、たしかにここには、ルネサンス人が理想としたものの具体的な現れを見る思いがする。理知を 尊ぶ気風、と、観念的に説明されるフィレンツェの伝統が、たしかに具現されていると。綿密な計算を基盤にもちながら、それが息苦しさにならないのは、それ こそが「美」にほかならないからだろう。西洋人にとって美とは、何よりもまず比例や均整の概念と結びついていたことの証左を見るようである。いわば計算された美とゆとりとでもいうのか。

 あまり正確な記憶ではないが、故辻邦生氏が、ずいぶん前ある雑誌の対談で、「パリに行ったとき、石造りの建物の中にイ デーが外在化された形で見ることのできる喜びを感じた」というようなことを語っておられたと思うのだが、フィレンツェの街を見たとき、私は真っ先にその言 葉を思い出した。数的比例に基づく美の観念を底流に宿していて、甘美とか流麗というのとは違う、ある意味で、いかめしい面構えの街でさえある。しかし、ル ネサンス人が目指した清新で端正な美の理想が、もっとも純粋な形で具現されているのは、やはりこの街だという気がする。
 私の中では、フィレンツェの街は、 ピエロ・デッラ・フランチェスカの絵と非常によく結びついている。美の代名詞のように言われるこの街の「美」が、漠然とした主情的な印象に基づく曖昧なも のではなく、明確な理念と計算に裏打ちされたものであることを、この石の街は端正な表情の中に脈々と伝えている。

VENEZIA

  さらに北へ進み、アドリア海の女王ヴェネツィアへ到達すると、今まで見てきたどの街とも違う、独特の視覚世界が開ける。ここは本当にフォトジェニックな 街だ。素人でも絵ハガキのような写真が撮れるベスト1だろう。いつぞや友人が、「行っていちばん感動せえへんかったんがヴェネツィアやけど、あとで写真見 ていちばんきれかったんがヴェネツィアやった」と言ったことがあった。実は私にとっても、そのものズバリだった。この街は不思議に量塊感を感じさせない。 むしろ、二次元的にとらえられたとき、実物以上に美しいように思われた。立体の街フィレンツェから来ると、とりわけその感が強かった。

 ヴェネツィアは、 ローマやフィレンツェに比べると、私にはとらえがたい街だったが、それは、後に陣内秀信氏の「都市の地中海」を読んで、それなりの根拠があったことがわかった。つまり、ヴェネツィアは本質的に迷宮都市であり、モニュメンタルに構成されたルネサンス的、あるいはバロック的な劇場都市とは違 う。細い辻が随所で折れ曲がり、迷路のように入り組んで、視線や動線が見通しよく直線的に導かれることがない。つまり、あるクライマックスに向かって劇的 に人の視線を誘うということがないのである。こういう街は、その迷路の中に迷い込みつつ徘徊することこそが、いわば都市空間への本来の参加 の仕方であって、舞台装置のように対象化して眺めることがそのあり方ではない、ということなのだ。
 遠近法的に構成された、見通しのよい、舞台装置的な都市 にいったん見慣れてしまうと、ヴェネツィアはむしろ壮大さに欠け、しかも歩いているとめまいに似た意識の攪乱を覚える。これではさぞかし住みにくかろうと 思ったが、そうではなく、むしろ外敵から身を守るための巧妙な装置、海に向かって開かれた開放的な(ということは外からの侵略を受けやすい)地理条件の中 で、自分たちの領域を守り抜くための知恵のたまものなのだった。だから、常に外来者の目にさらされている観光地でありながら、おそらく住み手のプライバ シーは十分に守られているのではないだろうか。一方で、どこでシャッターを切っても絵になるという、視覚的な美しさをもっている。あくまで三次元的に広が るドラマティックなローマや、制御と計算の美に支えられたキュビスティックなフィレンツェとはずいぶん異なった、迷宮的な見通しの利かなさと、三次元的量 塊感、立体感を意識させない独特の面的な美を、ヴェネツィアをはたたえていた。
 この街はたしかに、開かれた外向きの顔と、住人にしかわからない内向きの顔を もっているように思われる。それはまた、ヴェネツィア人の外来者に対する洗練された、しかし抜け目のない態度と表裏一体をなすようでもあり・・・心なし か、そんな気がしたものだ。あのとき感じたとらえどころのなさは、今まで見てきたどの街ともまったく違う都市の文法を、おぼろげながら感じ取ったことから くるものだったのだろう。この次はもっとこの街を堪能できるに違いない・・・そんな予感がしている。
(2000/6/25)