木靴の木(L'Albero Degli Zoccoli)

 19世紀末の北イタリア・ロンバルディア地方。ヨーロッパ全体が近代化のうねりの中で揺れ動いていたころ、 農民たちはしかし、依然強い地主の権限のもとで貧しい暮らしを余儀なくされていた。農具が木製から鉄製に変わり、土地所有のあり方がいくぶん近代化されは したものの、実質的に小作農たちの権利はないに等しく、農園内の立木一本伐ることも彼らの自由にはならなかった。<木靴の樹>はベルガモ近郊の農場に暮ら す四家族に起こる出来事を淡々と描いた農民叙事詩。持たざる者たちの日々の労働とささやかな喜び、そして理不尽な仕打ちにもなすすべのないさまが、北イタ リアのいくぶん冷え冷えとした風景の中で、言葉少なに語られていく。

バティスティの息子ミネクが小学校に行くことになった。教区の神父ドン・カルロのすすめである。貧しい農民の子にはまだまだめずらしいことだった。バティ スティは街の学校まで相当の距離を歩いて通うミネクのために、木靴を作る。最初の登校日、大きな木靴にだぶだぶの服といういでたちで教室に現れたミネク は、革靴をはき、ぴったり体に合った服を着ている街の子たちの中で、いかにもみすぼらしいが、じきに友だちもでき、学校になじんだ。「一滴の水の中にはい ろんな生き物がいるんだよ。」毎日新しいことを覚えてきては、父や母に話をする。一家にはもうじき二人目の子が生まれる。
フィナールはいつも息子と、つかみ合いの派手な親子喧嘩ばかりしている。気の小さいけちん坊で、祭りの日に拾った金貨をこっそり馬のひづめに隠してほくそ えむが、気がつくとなくなっていて、この世の終わりといわんばかりの大騒ぎをやらかし、死にそうな目にあって寝込んだりしている。
夫に先立たれてから洗濯女をして6人の子を育てているルンク未亡人の一家は、農場の中でもとくに生活が苦しい。一家の困窮ぶりを見かねた神父が、ある日、 子どものうちの2人を養育院に預けてはどうかと提案した。悩んだ彼女は長男に打ち明ける。すでに製粉工場で働いている彼は言った。「ぼくが昼だけでなく、 夜も働く。」
ブレナ一家の美しい娘マッダレーナは、紡績工場で働いている。ある日、同じ工場に勤める青年ステーファノが、帰り道、彼女のあとをついてきた。彼女はそれ を拒まなかった。両親も農場の人々も何も言わない。こうして二人の中は認められ、やがて結婚する。マッダレーナの伯母の尼僧をたよってミラノへ新婚旅行に 行くと、街は労働者のストライキで騒然としていた。大都会の喧噪に戸惑いながらも二人は修道院にたどりつき、心づくしのもてなしを受ける。翌朝、伯母が生 後数ヶ月の捨て子の赤ん坊を抱いてあらわれた。修道院から支度金をつけるので、この子を引き取ってもらえまいか、というのである。二人は引き受けることに した。
ミネクに弟が生まれた日、彼は学校の石段で、一足しかない木靴を割ってしまった。父親は夜中にこっそりポプラの樹を伐りに行き、夜を徹して新しい木靴を作ってやる。切り株には泥やワラをかぶせ、嵐や落雷などで倒れたように見えるようカモフラージュした。
ある夕方、バティスティの一家がなけなしの家財道具を荷馬車に積み込んでいる。あのポプラを伐ったことが地主に知れてしまったのだ。荷台の上のミネクは、 もう二度と使うことがないであろうランドセルをしっかり抱きかかえている。一家を見送る者は誰もいない。荷馬車が去った後、ひとりまたひとりと家の中から 出てきて、遠ざかる荷馬車をいつまでも見つめつづけていた。

一本の木靴の樹のために、ささやかな生活の基盤をすべて失い、行くあてのない旅に出る。これは「悲劇」ではない。当時の農民にとって、それはたぶ ん、慟哭したり悲嘆にくれたりすべき特別な悲劇ではなく、否応なく受け入れるしかない「自分たちの世界」の現実、酷く悲しいけれども自分たちには起こらな いだろうと傍観していられる他人事ではなく、誰にでも起こりうる「日常」の側に属する出来事だったのだ。だから「悲しむ」ことができない。ラストシーンに、監督エルマンノ・オルミの言いたかったことが集約されているように思う。
それまで主に現代の労働者階級や中産階級を描いてきたエルマンノ・オルミは、<木靴の樹>について「私自身の内部への里帰り」と語ってい る(公開当時のパンフレットに掲載のインタビュー記事より)。オルミはミラノ育ちだが、生まれはベルガモの農家で、両親とも農家の出である。徹底した低予 算、アマチュアの起用など、商業主義に与しない映画作りで知られ、<木靴の樹>の出演者も、全員がベルガモ近郊の農民で、撮影はオール・ロケ、照明は自然 光とロウソクと灯油の光だけ、という。
個人の努力によっては克服しがたい構造的貧困とその不条理があぶり出されながらも、センチメンタリズムのかけらもな い。農民たちの姿にいっさいの美化の跡も見られないが、そこには何ともいえない気高さが漂う。全編に漂う崇高ともいえる気品は、オルミの視線が、透徹した リアリズムに支えられながらも、決して冷たくはないこと、否、慈愛と敬意に満ちたものであることを物語る。おそらくそれは、自分も本質的に同じ世界に属す ると確信する者のみがもちうる、冷静さと優しさの巧まざるコンビネーションからくるものなのだろう。貧しくも自然に抱かれながら生きていた人々とその時代 を、何も声高に叫ぶことなく再現した静かな映像は、それ自体が現代へのアンチテーゼかもしれない。ロンバルディアの静かな自然と、農民たちの話す静かなベ ルガモ訛りが心に染み通る、どこまでも静かな映像である。

Note: 1978年/イタリア/カラー187分/監督エルマンノ・オルミ/原題 L'Albero Degli Zoccoli/1978年カンヌ映画祭グランプリ受賞

(2000/5/7)
(May 5, 200